太平洋戦争とマッカーサー

連合軍総司令官マッカーサー
 
 六世紀半ばの白村江はくすきのえの戦いから千数百年の歳月が流れた。東シナ海を舞台に繰り広げられたあの白村江の戦いは、 舞台を太平洋に移して、ミッドウェー海戦となって再び歴史に登場する。連合軍総司令官D=マッカーサーは、郭務悰かくむそうに対応するのであった。
唐による支配のもとで先住日本人たちがめた辛酸しんさんは数知れない。「寛大」とうたわれたアメリカの対日占領政策も、 実際はやはり制裁的であったという。一つの国家が戦争に敗れることによって生ずる負の遺産は、はかり知れないものがある。
 まだ記憶に新しい太平洋戦争に視点を移してみることによって、「敗戦」するということを、ここでもう一度考え直してみよう。

占領下の日本
 
 マッカーサーという、天皇陛下以上の権限を持つ絶対君主のもとで過ごした七年間に、日本という国家の性格は大きくゆがめられたといえるのではないだろうか。
 二十一万人にも及んだパージ(公職追放、人間関係を恣意しい的に操作する過激な政策)によって、日本のそれまでの政治勢力は根こそぎ引き抜かれた。 農地改革、婦人解放、労働改革など、矢継ぎ早に民主化政策が断行されて、新しい民主勢力が植え付けられた。また、マッカーサーによって作られた憲法が日本語訳された後、 日本国憲法としてわが国に押し付けられた。こうしたアメリカの大手術をへて、今日の日本国の基盤は徐々に出来上がっていく。

今日の日本国
 
 日本は、後の一九五一年に独立を果たすのであるが、その「独立」というアメとひきかえにまされたのは日米安保条約という、 いわば日本がアメリカの極東における前線基地となることを規定した条約であった。日本は、アメリカの保護国となる道を選んだのである。
 最近の日本政府を見ていれば、ほとんどの大きな国内政策の主導権をワシントンが握っていることがわかるだろう。市場解放、金融自由化、円高誘導、内需拡大、構造協議など、 日本の政府が自分でやったことはあまりない。さらにあの湾岸戦争で日本政府が支払った金額は一三〇億ドル、アメリカの戦争経費は一五〇億ドルであった。 しかし、現在のこのような体制が出来上がった背景において、あの太平洋戦争敗戦が大きな影響を与えていることは、否定し得ない事実であろう。
 しかし、それにさかのぼること千数百年前、東シナ海を舞台に繰り広げられた白村江の戦いの後、唐の進駐軍総司令官郭務悰に始まった唐支配は、 それよりも、はるかに過酷なものであった・・・

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