裏と表
前書き
昔から、日の本の国と呼ばれたこの島は、鉱産物の国であった。だから、フェニキア人が中国に殷の国をたてたとき、九州に東表国をたてた。
そして、出雲に進出して銅・鉄などを採掘した。そして、北九州または出雲方面に集荷した。そこから、山東方面に向けて青銅器を造るために送られていった。
その見返りとして、青銅器(鏡その他)を貰った。
鉱山を渡り歩く者はサンカであった。各地の金、銅、鉄山は、ことごとくサンカが開発した。そのサンカの大親方のいたところは東・西にあった。
東は埼玉の桶川、西には兵庫・丹波であった。
そして、その鉱山を警護する武士の集団があった。その武士集団の中の多田鉱山の武力集団が多田源氏である。
東表国
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狗邪韓国 |
倭人興亡史(鹿島昇・編)に、満州の契丹秘史、韓国の古代史書桓檀古記によると、
「東表」は豊日国のことで、日本神話のエビスの命の国であり、
紀元前八~七世紀にアビシニア人とオッフル人(フェニキア系人)の植民市が、北九州東部の豊国地方にあって「東表国」といった。
青銅文化を持ったフェニキア系人は、紀元前一六~五世紀ごろから、舟による東進が行われ、インド、マレーシア半島に植民市をつくり、紀元前十世紀ごろには、中国、朝鮮、日本に渡来していた。
東表国は、朝鮮の狗邪韓国(駕洛国・金官加羅)を飛び地として支配していたのである。
神無月
神無月は、かみなづきの転語、陰暦の十月の異称である。
我が国は、昔から大変な産銅国であった。
東表国を建てたフェニキア系人は出雲に進出し、次第に全土に及んで鉱山を見つけて、北九州、または出雲に集めさせていた。
集荷には、各地に住まいする民族(各国からの渡来人や、漂流の民)の代表者に責任を持たせていた。
その時期は、季節風の吹く十月であり、各地の人の上に立つ者が出雲に集まったのでこの月を、上の月=かみなづき=神無月と呼ぶようになったのである。
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