出雲
出雲は神話の国である。出雲といわれて私たちが連想するものは、スサノオノミコトのヤマタノオロチ退治、因幡の白兎、オオクニヌシの国譲り等、古事記や日本書紀からの知識である。
事実、記紀神話の三分の一が出雲を舞台としている。
神話はただ空想や、架空でつくられたものではなく、それぞれの地方に定着した民族によって、歴史的事実に基づき、伝承されてきたものであるが、
いくつもの部族国家が、一つの大きな国家に統一されていく過程において、時の統治者が国家成立を正当化し、自らの権威を高めるために、被征服民族の神々を自分たちの神々の中にとけこませてゆくのである。
出雲地方と産鉄(製鉄)集団
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古代出雲国 |
日本は資源の乏しい国である。外国から原料を輸入し、高度な技術力を生かし、質の高い製品を輸出することで、他国と交易を計っている。
そんな日本が、近世初頭には、世界産金量の二分の一、産銀量の三分の一を占めていたという。
確かに、マルコ・ポーロの書いた東方見聞録でも、黄金の国・ジパングと紹介されている。だが、古代において、金・銀以上に大切だったものは鉄である。
鉄はマガネ・コガネと呼ばれていた。コガネとは粉鉄、つまり砂鉄のことである。
西日本、とりわけ出雲・石見は良質な山砂鉄の産地であった。もちろん、内陸のいたる所、海岸線や河口と、日本はカナダ、ニュージーランドと並ぶ世界三大砂鉄産地であった。
このような金・銀・銅・鉄等、鉱山資源の豊富な日本も、まだ国家はできておらず、すでに中国大陸を治めていた民族が放っておくはずもなかった。
フェニキア人の建てたとされる殷の時代(紀元前一六〇〇~一〇二七)には、北九州や出雲は銅の集散地として開かれていた。
やがて、鉄の製造技術を持った集団が、出雲等に移住し、定着していった。
九州の国東半島には、製鉄遺跡があり、九州大学の坂田武彦によるC一四の測定では、紀元前六九五プラスマイナス四十年と推定されている。
この近くにある宇佐八幡宮の名は、鉄発祥の国ヒッタイトの首都、ハットゥーサを意味すると説く学者もいる。
中国には昔から、東夷・西戎・南蛮・北狄といって漢民族の回りに住む民族を、野蛮で未開な者としていた。
東夷とは倭人、つまり日本人を指していたが、この夷は銕のことであり、この言葉からも、日本が鉄の民のいた土地であることの証拠だろう。
話を出雲に戻すと、荒ぶる神、スサノオが高天原を追われ、出雲の国の簸の川(現在の斐伊川)に来ると、老夫婦が泣いていた。
聞けば娘のクシナダヒメがヤマタノオロチに食べられるという。
そこでスサノオはオロチ退治を決意する。
八つの頭と尾を持つオロチに酒を飲ませ、寝込んだところをズタズタに切り裂いた。この時、川はオロチの血で赤く染まり、中の尾を切った時、自分の剣が欠けて、中から鋭い大刀が出てきた。
これが草薙の剣といい、スサノオはアマテラスに献上した。
この話の中から、いくつかの推測ができる。老夫婦と共に泣いている奇稲田姫は斐伊川に住む竜神へのいけにえ(人柱)とも考えられるし、その名前から、出雲に移り、定着した農耕の民とも考えられる。
切り裂いた尾の中から立派な大刀(草薙の剣)が新しく出現するのだが。スサノオの剣が刃こぼれをして、新しい剣を得るという点については、二つの異なる鉄の民の縄張り争いと考えても面白い。技術の勝れた方が勝ったのであろう。
砂鉄は、チタン分が少なく、溶融還元しやすく真砂砂鉄が最高のものとされるが、出雲は真砂砂鉄のとれる数少ない土地であった。
古代、人々がやっとの思いで、辿り着いた日出る国は、果たして安住の地であったのか。神話は答えてくれるだろうか。
出雲神族は竜蛇神族
出雲神族と蛇は非常に関係が深い。記・紀でも出雲の神々を蛇神としている。
アジスキタカヒコネ(オオクニヌシの子供)は姿が美しく、二つの丘、二つの谷の間に映りわたる(蛇神であることを想定している) 「日本書紀」
垂仁天皇の子、口がきけなかったホムチワケは出雲へ行き、大神を拝むとものが言えるようになった。その時、一夜をヒナガ姫と過ごしたが、ひそかにのぞくと、美しい姫は蛇だった。 「古事記」
ナガスネ彦のナガ、草薙の剣のナギはインドの蛇神「ナーガ」「ナーギ」と結びつく。インドには現在も蛇をトーテムとするナーガ族がいる。
ナカのつく地名(京都府中郡、神奈川県中郡、茨城県那可郡、三重県名賀郡、島根県那可郡等)は蛇族が住んでいたとも考えられる。
また栃木県茂木の那珂川一帯は、天然ウナギの産地であるが、後郷あたりではウナギを食べない。
食べると祟るという言い伝えらしい。ウナギのナギがやはり、蛇に関係ありそうで、この辺りでは昔、竜神を祀っていたという。
諏訪大社の祭神、タケミナカタは、タケミカヅチとの力比べに敗れて、諏訪の地に逃れてきたオオクニヌシの子供である。
やはり蛇神として知られ、近くの井戸尻遺跡からは、蛇体装飾土器や、とぐろを巻く蛇を頭にのせた女人土偶も出土している。
日本の古い習俗に、神社で作った大きな円形のしめ縄をくぐると、無病息災が保証されるという「茅の輪くぐり」がある。
出雲では、須佐神社や城上神社の年中行事の一つである。
言語学の川崎真治によると、このしめ縄は「シュメールの蛇女神ニンギジッタの象徴である」という。
出雲で旧暦の十月に行われる神在月の祭祀は、浜でセグロウミヘビを捕らえ、海藻をしいた六角の曲げ物にのせ、神前に奉ることから始まる。
出雲神社の紋章「亀甲」もバビロニアの竜蛇神マルドゥクのシンボルと同じである。
サンカとスサノオ
スサノオを祀る人々にサンカがいる。彼らはスサノオを穴居生活から救ってくれた神として崇めている。
八雲立つ 出雲八重垣 妻ごみに 八重垣作る その八重垣を
有名なこの歌も、サンカの間では、全然違った解釈となる。
ヤクモとは、悪い者、乱暴者を意味し、ヤクモタチ(八蜘蛛断ち)は悪い奴らを断罪する事であるという。
イズモヤエガキとは、サンカ社会独特の法律のことを、彼らはヤエガキと呼ぶのである。(正式には出雲八重書)
次の妻ごみとは、婦女子を暴行することであり、彼らは女込めたともいう。
以上をまとめると、悪い奴らを罰して、出雲に平和をもたらす為の掟を定め、それを守るように、婦女子に乱暴をしないようにという、一夫一婦制の掟の制定を意味しているという。
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