日本の古代文字

静岡県水窪町に出土の
縄文後期石碑    
 
 日本には永い間、漢字渡来以前には文字は、なかったとされていたが、漢字以外の古代文字が何種類かあり、それらを研究者たちは、「神代文字かみよもじ」と呼んでいる。
 神代文字の研究は、江戸時代から行われており、なかでも、平田篤胤ひらたあつたねが著わした「神字日文伝かんなひふみでん」は、名著といわれている。
 そして、これまでに発見された多くの神代文字は、阿比留あびる文字、阿比留草あびるくさ文字、秀真ほつま文字、サンカ文字、阿波あわ文字、対馬つしま文字、忌部いんべ文字、中臣なかとみ文字、アイヌ文字、物部もののべ文字、吉備きび文字、出雲いずも文字などに分類され、 文字の構成原理も割り出され、また、その文字をどう読むかも、すでに何人かの研究者によって解明されている。
 しかし、神代文字の種類は多く、駿河祝部はふりべ土器の古字、信州諏訪神社の壺文字、鳥取県福部栗谷ふくべくりたにの石壁古字、富山県井潟いがた町八幡社の石棒古字、栃木県石井村高竃たかかまど神社の石碑文字など多くの未解読のものも残っている。
 これら、未解読のもののうち、天竜川中流の水窪みさくぼ町から出土した石碑の文字は、縄文、弥生時代に、銅を求めて渡来した古代オリエント人の彫ったシナイ系音表文字であると、古代文字の研究者、川崎真治は発表している。

阿比留文字
 
阿比留文字の構成
 
阿比留草文字
 
阿比留文字
 
 この文字は、対馬国阿比留家が秘蔵、伝存したものであることから、阿比留文字と呼ばれ、これは代表的古代和字である。
 この阿比留文字の構成は、左上図のように、五つの母音字と、九つの父音字とが原子的にはたらき、化学的に結合して、新しい子音字が構成される。
 また、この文字は、天日アヒル文字とも称され、「アヒル」とは、(朝)、(昼)、(夜)の言葉から、アサのア、ヒルのヒ、ヨルのルをとって、アヒルとも称され、 それは、朝昼夜の太陽の直射交線からの、その直線の姿をとって、この文字の字形を定めるに必要な字源を作ったことによるという説もある。
 また、左中図の阿比留草文字は、別名「薩人書さつとふみ」とも呼ばれ、真正の古代和字として、全国の有名神社に用いられている神璽しんじには、この文字が圧倒的に多い。

サンカ文字
 
サンカ文字
 
 山民または山人と呼ばれる人たちとは、古代の採鉱冶金師さいこうやきんしをはじめ、その職業的分野は多岐に渡っていたが、居所不定で年貢を納めない彼らは、年貢を納める農耕民とも区別され、滅亡した古代国家の各種族も、その居場所を求めて、あるいは山民の仲間に加わった。
 そういった山民の中でも最も謎に包まれた山窩サンカ族もいたが、彼らは、左図のようなあぶり出し秘密文字(サンカ文字)で全国的によく連絡、統制も取れていたといわれている。

秀真文字
 
秀真文字
 
 秀真文字は、これまで幻の書として想像するのみであった。「秀真伝ほつまつたゑ」全四十巻が愛媛県宇和島市の小笠原長恭おがさわらながゆき家に保存されてあったが、近年発見され、秀真研究に並々ならぬ努力をされている松本善之助まつもとよしのすけらにより、仏教伝来以前の古代日本に既に存在した文字ではないかと注目されている。

トップページへ戻る