北の京都、南の吉野
十四世紀、天下に二人の天皇が存在するという日本史上、極めて異例の時代があった。いわゆる南北朝時代である。
この動乱の渦中で、中心的人物として存在した後醍醐天皇が、晩年逃れた吉野の地。「歌書よりも軍書に悲し吉野山」と歌われたこの地にまた、歴史が刻まれたのである。
動乱の嵐が日本列島を巻き込み、多くの人々が駆け巡った大抗争は、わずか六十年といわれる期間を
遥
はる
かに超えて、日本を揺るがし続けた。
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